ようこそ岩代へ 岩代の歴史
遥かなる岩代の起源
塚と古墳の存在
岩代には古墳に類似した小さな塚(壇)が各地に存在しています。大半は、直径2メートル前後、高さ1メートル弱の極小の土盛で、供養のための塚であったとも思われます。
その中で、上太田六大壇は直径10メートル、高さ2.5メートルと古墳を想起させる大きさです。
縄文の暮らし
岩代では縄文時代のものと見られる遺跡が30ヵ所ほど発見されています。出土する土器、石棒、石斧、矢じりなどからして、人々の住居は竪穴式が主流で、 10棟から15棟が一つの単位として集落を形成していたようです。
高稲場遺跡(百目木字岩下)から概観すると、当時の人々は、春夏秋と野山の実りや川の魚を獲っていたと思われます。特に秋に狩る木の実やきのこ、遡上してくる鮭などは、冬季の貴重な保存食として加工もされていたことでしょう。四季に密着した生活の中で、一年という単位が生活の一つのサイクルとして定着していったと考えられます。
田沢熊野神社の太々伸楽
田沢熊野神社の太々神楽
自然崇拝への回帰
古代、人々の生活基盤は、自然崇拝の原始的信仰に支えられていました。そうした自然への畏敬の念は、現代と比べものにならない重要な意味を持ち、やがて"祈り"という行為が生まれたのかもしれません。そして生活の中に根づいた人々と自然崇拝(神)との接点は、悠久の時を越え、御幣、鳥居、祓い、直会などの形で現代に生きています。
大和朝廷のもと、現代の岩代町の支配は安積国造にありました。
740年ごろ、(奈良時代)は、地方行政の単位として、国・郡・郷制がしかれ、この地域は「佐戸郷」と呼ばれていました。「郷」は現在の「村」に相当します。
延喜6年(906)の律令には「安達郡を置く」という記述があります。実際のところ確かな証拠がなく、真実はまさに沈黙の中とも言えますが、この地域の郷を束ねる行政郡が、すでに出来ていたことを想うだけでも感慨深いものがあります。
神殿神社の太々神楽 水雲神社の太々神楽
新殿神社の太々神楽 水雲神社の太々神楽
杉沢三度水雲神社の太々神楽
杉沢三度神社の太々神楽
御田植え祭 御田植え祭
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